熊城山の麓 芸北のサクラソウを訪ねる
広島県山県郡北広島町
2017年5月2日 門久単独
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〈美和東いこいの広場にある美和の里の概要地図〉 |
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美和東文化センター・美和東いこいの広場
今年の4月に芸北の桜を追っかけている途次北広島町溝口で綺麗な一本桜が咲いていることに気付き
立ち寄ったのが美和東いこいの広場でした。
敷地内にある元美和東小学校の校舎であった建物が美和東文センターとてして活用されており、
その建物の前に「美和食・農文化の里」と記された地区の地図や観光ポイントを示した立て看板が立てられていました。
その掲示の中で興味を引いたのが、すぐ近くにあるサクラソウ園と熊城山の麓にあるという「サクラソウ自生地」でした。
花期を迎えたら一度立ち寄ってようと思った次第です。
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〈美和東いこいの広場(2017年4月22日撮影)〉 |
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〈美和東文化センター:元美和東小学校の校舎です〉 |
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サクラソウ園
5月になるとそろそろサクラソウの開花時期と考えて溝口に出掛けました。
県道308号線から美和東いこいの広場に入って行く途中の左手の渓流の向こう岸(最初の橋の向こう側)に
サクラソウ園はありました。花の時期としてはまだ走りの頃でしょうが、既に結構沢山の花が咲いていました。
約40年前に枕地区でサクラソウの自生地が発見されてから保護活動が始まり、2000年に溝口をサクラソウの里にすることとして
八幡のサクラソウをバイオ技術で増殖していこいの広場に近いこの休耕田に1000本植え付けたのが始まりとのことです。
その後、枕地区の自生地のサクラソウは独自の自生種であることが判明し、
埼玉県のサクラソウの系統に入るここサクラソウ園のサクラソウとの交雑が懸念されたため、
地区あげてのサクラソウの里作りは中止して現在に至っているとのことです。
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〈地図でサクラソウ園、サクラソウ自生地が確認出来ます〉 |
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〈花が咲き始めたサクラソウ園〉 |
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〈咲き始めながらなかなかに美しい咲きっぷり〉 |
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〈サクラソウ園の全容です〉 |
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サクラソウ自生地
続いて枕地区にある自生地を訪ねました。大朝側の登山口のテングシデ群で有名な熊城山(997.4m)の北側の山懐にありました。
自生地の先まで2車線の立派な道路が県道40号線から通じていました。道路端に立つ案内板から200メートルほど森の中に入ると、
柵に囲まれた自生地がありました。ここもまだ花期の走りと思われましたが柵内の数か所でもう花開いていました。
まだ少ない花の数でしたが日を追うごとに花の数は増えていくことでしょう。栽培地のサクラソウ園の花に比べるとやや小ぶりのようでしたが、
ここ独自の自生種という貴重な花がしっかりと咲いている姿は人々に勇気と矜持を与えるように思いました。
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〈自生地の入口に立つ案内板です〉 |
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〈柵に囲まれたサクラソウ自生地〉 |
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〈交雑を心配する「サクラソウを育てる会」の注意書き〉 |
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〈貴重な花が華麗に咲いています〉 |
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〈地域の人たちに護られて健気に咲く自生地のサクラソウです〉 |
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〈枕地区から見上げた熊城山です〉 |
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〔探訪所感〕 恒例の春の桜の追っ掛け中に知ったサクラソウの自生地でしたが、その後偶々知人から広島のサクラソウ自生地について
聞かれて、これは是非もなく開花早々には訪ねねばと考えての探訪となりました。
江戸時代にサクラソウの一大ブームがあり全国にサクラソウが広まったということのようですが、そんな中でこの地に独自種が自生するというのは
仲々に稀有で貴重なことのように思われます。独自種がいつまでも護られて規模も拡大していくことを切に祈るばかりです。